natsuyakun’s cogitation

とりあえず読んでくれ

Intestine

僕はあの人になにもできなかった。

あの人のブログを読んだ。ツイートもたまに見る。彼は社会復帰?を一応したようだった。僕といるときにはできなかったバイトも復学も入院もしたみたいだった。

僕はまだあの人の影を追っているのか。憎んだときもあったけど、気にせずにはいられないなにかがある。

あんなに愛していたのに、愛するだけじゃだめだったのか愛し方がだめだったのか。

そもそも愛ではなかったのか。

 

幸せになったなら良かったけど、僕じゃどうにもできなかったのが悔しい。

 

やはり僕は人を堕とすようなことしかできないのか。僕だって大切な人を愛する人を幸せにしたい。なにもできないならまだしも、マイナスな影響をあたえることしかできていない気がする。害悪だ。今だってそうだ。

僕のような弱者が人を支えるなんて烏滸がましいのかもしれない。

 

 

いつか、僕が成長したら、叶うのだろうか。

それとも、メンヘラガイジでは無理な話なのだろうか。

 

なんでもするから、今の彼だけは幸せにしたいし、去って欲しくない。他の誰でもない、僕が幸せにしたい。

 

気持ちの悪いメンヘラの、身の丈に合わないような夢。

 

僕と僕の野望について

まず話したいのは、僕なかの僕のこととその為に生まれる僕の野望というか欲望について。

 

僕は、基本的に自信がない。自己肯定感が低く、自分をあまり大切にできない。まぁ、よくいるメンヘラなんだけど、その割には自分のキャパを多く見積もる傾向にある。要は、高い理想を低い現実で叶えようとするような感じ。

自信がないのに、出来ると思い込むから、実際どっちなのかよく自分でもわからない。本当は自信家なのかもしれない。謙虚にすることで、予防線を張っているのかも。

僕は、良い意味でも悪い意味でも個性的とか変わってるって言われて育ってきた。自分でもそうありたいと思うし、そうで良かったと思ってる。普通じゃ満足できないし、刺激が強い方が好きだし、みんながしない経験をしたい。そういう意味では障害とかも経験できて良かったなと思う。

僕に今までにどんなことがあったか、みたいなのは後に書くとして、僕は小さい頃の経験や、自分の存在の小ささなどから、人の心に残りたいと思った。よくある、「死んでしまって何も残らないのが嫌だからだれかの記憶に残りたい」みたいな願望とは少し違うかもしれなくて、自分のような存在が他者に影響を与えるなんて烏滸がましいという考えの反発心?のようなもので、

 

人の心を強く揺さぶったり傷跡を残したり衝撃を与えたりしたいもっと言うと僕のせいで考えが価値観が人生がおかしくなってほしい

 

という、ものである。それの矛先が僕にとっての美術でありデザインである。ガイジだからかわからないけど、決心したらそこまで何が何でも突き進むところがあるので、この野望だけは変えられないし変えない。

大袈裟に言ったけれど強ち外れてももいないかな。でも、僕の作品にリプくれたり感想をわざわざ言ってくれるだけでも、その行動を起こさせることができたという満足感というか、嬉しさがある。

 

とりあえずこの辺までにしようかな。読んでくれてありがとう。僕は、僕のこと知ってもらうの好きだから、また早いうちに更新すると思うよ。そのときもまた読んでくれたら嬉しいな。